ブラームスの第三交響曲を初演したハンス・リヒターは、この作品を「ブラームスの『英雄(エロイカ)』」と呼んだ (1)。またカルベックは、この曲で重要な働きをするf-As-fの音型をF-A-F、即ち Frei Aber Froh〔自由に、しかも喜ばしく〕という言葉の頭文字と結び付け、これがこの作品のモットーだと説明した(2)。以来この交響曲について語る際には、作品理解の鍵としてしばしばこれらの言葉が用いられてきた。
元来プラームスの交響曲全四曲のうち、第三番は「最もロマン主義的で絵画的」と見なされており(3)、 様々な詩的・標題的解釈の対象となってきた。既に初演当時、クララ・シューマンはこの交響曲全体に「森林生活の神秘的な魅力」を感じ、「森の牧歌」と呼んだ (4 )。またヨアヒムは、この曲、とりわけ終楽章の第二主題に、荒波の海峡を恋人ヘーローのもとへと懸命に泳ぎ進むレアンドロスの姿を見た(5) 。最近では、この作品を《ファウスト》による「新ドイツ派的」標題音楽として解釈しようという試みさえ現れている(6)。だが恐らく、一八八三年の初演以来一世紀を越したこの作品の受容の歴史の中で、最も大きな影響力を持っていたのは、最初に触れたリヒターとカルベックに由来する想念、この作品が「英雄的」であり、「自由で喜ばしい」という解釈であった(7)。リヒターの発言が一般に広まるきっかけを作ったのは、ハンスリックによる初演時の批評だと思われる。リヒター自身の真意はそこからは解らないが、彼はただ祝杯をあげるに際してこの曲の優秀さを語る為に、ベートーヴェンの同番号の交響曲を引き合いに出したに過ぎないのではないか。「英雄」の語を曲の性格と結び付けた張本人はむしろハンスリックの様だが、彼は「この言葉が完全に当てはまるという訳では勿論ない」とも述べている(8)。一方 Frei Aber Froh という言葉についても、ブラームス自身に由来するものではなく、むしろカルベックの創作ではないかという疑義が、既に一九三〇年代にドリンカーによって、また近年ではマスグレイヴによって、提示されている( 9) 。だがいずれの言葉も、作曲者自身或いは作品それ自体に強い板拠を持つものではないにもかかわらず、言わば発言者の権威によって「公式見解」として広まり、その後の聞き手に先人観を与えることになったのである。例えばポートジュティーバーは、リヒターの表現を踏まえた上でF-As-Fの動機を「英雄の動機」と名付け、更にこの交響曲は「暗い楽想や官能的な誘惑を共に断固として退ける力強い性格を描いている」という(10)。
しかし実際には、この作品から「英雄的」で「自由で喜ばしい」音楽だけを受け取る聴き手は、恐らく皆無であろう。勿論そういう側面はある、だがそれとは全く相容れないもの、対照的なものが、我々の耳には否応なしに聴こえて来る。しかもそれは、「断固として退け」られるべきものとしてではなく、それ以上に重く、むしろそれこそがこの作品の真実であるかの様に、感じられるのではないか。ハリスンは、一方で主題の「英雄的」性格や「自由で喜ばしい」モットーに触れながらも、この作品を「失われた青春の物語り」であると言い「秋の交響曲」と呼んだ(11)。この形容の方が、我々の「感じ」にはより近い。哀愁、悲嘆、或いはメランコリー。そんな気分が、この交響曲には標っている。
本論の目的は、我々の感じるこうした気分の根拠を、作品の分析を通じて探ることにある。この「偽=英雄的」(12)交響曲に漂う哀愁や憂鬱はどこから来るのか。
ブラームス自身が標題的手掛りを全く残していない以上(13)、、この作品に近付く為の鍵は、何らかの音楽外的な想念にではなく、嗚り署きつつ動く音楽そのものの中にこそ求められるべきであろう。ここでは、作品全体-を通じて重要な働きをする【傍点】二つの【傍点】基本的な動機(14)に着目する。一つは、件のF-As-Fの動機。もう一つは、不思議にもこれまでその重要性を全く指摘されてこなかった、C-H-Cの形によって代表される動機である。以下これらを、それぞれ動機A及び動機Bと呼ぶ。
なお、ここでの分析と考察は、常に聴き手の立場で行われる。目的はあくまで「作品から我々が受け取るもの」を知ることであり、「作曲者の創作の秘密」を明らかにすることではない。結果として出来上がっている作品が問題なのであって、作曲者の意図や創作の経緯などに関する議論はさしあたり無縁である。
動機A(譜例1)、いわゆる「モットー」の重要性については、改めて言うまでもないだろう。ブラームスの第三交響曲を論じてこの動機に触れぬものはない。否、誰かの論を待たずとも、楽譜を見れば、或いは聴いてみるだけでも容易に解ることである。この曲の始まりを告げるのは他ならぬこの動機Aであり、それは直ちに第一主題の土台となって、その後第一楽章の至る所に現れる。またこの「モットー」は、終楽章のコーダでも回想される。幾つかの文献では、第二・第三楽章に於いてもこの動機の存在が指摘されている(15)。より詳しくは、例えばブラウンの論文に、全曲中の動機Aの配置及びふるまいについて、簡便な見取り図と豊富な譜例がある(16) 。ここでは、その動機がどういう意味を持っているのか、という所から考えてみる。
動機Aを特徴付けるのは、真中のAs音である。この音は、この交響曲の主調であるへ長調には本来属さない。むしろへ短調の調性決定音である。冒頭二小節目に現れる時にはそれでもドッペルドミナントの第九音としてふるまっているが、四小節目でははっきりとへ短調の和音を磐かせ、言わば交響曲の顔として主調を確立すべきはずの第一楽章第一主題をさえも、同主短調の領域へと引きずり込む。これ以降も、動機Aに含まれるAs音ないし短三度音程の影響によって、例えば提示部の終わりに典型的に見られる様に、この楽章全体が著しく短調への傾斜を示すことになる。
長調と短調の揺らぎは、第一楽章のみならず交響曲全体に及ぶ。そもそも四つの楽章の調的構成が、それを端的に示している。第一楽章へ長調、第二楽章ハ長調、第三楽章ハ短調、第四楽章へ短調/へ長調。終楽章のコーダを無視すれば、主調と属調が、各々の同主短調とシンメトリカルに配置されている訳である。ハ長調の第二楽章にも、短調の響きは浸透している。エピソード的な中間部ないし第二主題(四一小節から)が平行短調をとるのは定石の部類としても、第一主題の中にも短調への移ろいが見られる(十一から十三小節)。更にこの楽章の終わり、―二八小節以降は、ヘ長調からへ短調を経て、ハ長調の和音に到逹するのである。そして終楽章。既に触れた様に、コーダに至ってへ長調になるものの、それまでの主部はへ短調。全三〇九小節のうち二六六小節目まで、圧側的大部分が短調である。コーダに於ける長調への転調は、言わばピカルディの三度の様なものだと考えれば、この楽章全体をへ短調として捉えることも可能だろう。ヘ長調を主調として持ちながら、全体としてはむしろへ短調に引き寄せられている。これが、この交響曲の最も大きな特徴であろうと思われる。
この曲を支配している著しい長調と短調の間の揺らぎ、いわゆるTongeschlechtの移ろいについては、実はこれまでにも多くの論者が指摘している(17) 。だが、それが聴き手にとってどういう意味を持つのか、という点に触れた例はない。
ところで、様々な調の性格を区別し吟味する調性格論は、ルネサンス時代にその萌芽を見せるが、長短両調が音組織として確たる位置を与えられるバロック時代に一般化し、近代に受け継がれた(18)。中でも十九世紀に大きな影響力を持ったのは、シューバルトによるものである。十八世紀の末に書かれ、著者の死後一八〇六年に公刊された音楽美学論(19) の巻末に置かれた彼の調性格論が、十九世紀の初頭だけではなくかなり後まで影響力を持ち得たということは、例えば一八三五年から出版されたシリングによる浩涸な音楽事典(20) に現れている。この事典の各調性の項目は必ずその性格に言及しているが、その主張するところは、大抵の場合シューバルトのものをそのまま引き写しているのである(21)。このシリングの事典と丁度同じ頃、シューマンは『調性の性格』という小論を書いている(22)。シューマンはそこで、シューバルトの調性格論を「あまりにも弱く詩的な所が多い」として批判しつつも、全面的に否定はせず、各調に固有の性格が存在することは認めた上で、次の様に述べる。「実際に様々な時代の中で、調性の、ある一定のステレオタイプ的性格が生じて来たのだとすれば、同じ調で書かれ古典と見なされている傑作を集めて、支配的な気分を互いに比較しなければならないだろう(23)。」この言葉は示唆的である。シューマンが実際にそれをやって見せるまでもなく、調性格というものは、たとえ無意識であれ人々が過去の作品の比較の中から導き出してきたものに違いないからである。調の選択が現実の響きに大きく影響し得た時代ならいざしらず、楽器の能力向上が著しく十二平均律が支配的になりつつあった十九世紀に於いてもなお調性格というものが存立し得たとすれば、その根拠は、ある調性を持つ過去の作品の受容の堆積と、
それを踏まえた作曲家の新たな創作による作用との連鎖の結果でしかあり得ない。そして十九世紀前半の調性観を代表し、その後の受容に大きく影響を及ぼしたのが、シューバルトの調性格論であったことは確かである。
この調性格論を、シリングやシューマンの文章より約半世紀遅れて書かれたブラームスの交響曲に、更にはそれよりもなお一世紀後の我々の「感じ」に直接結び付けようというのは、一見無謀な企てに見えるかも知れない。だが実際には、そこに記述された個々の調の性格は、――シューマン同様の保留を伴った上で――我々自身の「感じ」から必ずしもさほど隔たったものではない様に思われる。考えてみれば、現代に生きる我々の調性観と言っても、それは殆どいわゆる「調性崩壊」以前、つまりは一九世紀以前に作られた作品の受容体験の中から生まれてきたものである。我々とシューバルトの間の距離は、実際の年代程には離れていないのである。またシューバルト以降、それほどの影響力を持ち得た調性格論は出ていない。我々の「感じ」の源を訪ねるという意味でも、ここでシューバルトの調性格論に目を向けてみても良いだろう(24)。
ブラームスの第三交響曲を支配する二つの調性の性格について、シューバルトは次の様に記している。ヘ長調「快適および平穏〔安息〕」、へ短調「深い憂鬱、哀悼、悲嘆のうめき、そして埋葬への憧れ。」この両者の間を、この交響曲はさまよう。ブラームスは、自らはっきりと総譜にこの曲の調性をへ長調と記している(25)。この作品は、本来「快適で平穏」であるはずなのである。だが現実には、全体に浸透するへ短調の響きが、この曲に「憂鬱と悲嘆」の影を落とす。.そしてそのそもそもの原因、この曲の「憂鬱と悲嘆」の象徴ともいうべきものが、動機Aであり、そこに含まれるAs音なのである。
動機Aが、本来あるべき状態にない現実の象徴であるとすれば、この動機の本来の状態とはどういうものか。ヘ長調ではAs音は当然A音に変わる。そして動機AはF-A-.Fという姿をとることになる(譜例2)。
F-A-Fといえば、例のカルベックがブラームスのモットーだと信じた Frei Aber Froh の音型に他ならない。その由来はともあれ、「自由に、しかも喜ばしく」という言葉は、「快適で平穏な」ヘ長調にはふさわしいが、反面「憂鬱と悲嘆」のへ短調には全くそぐわない。動機Aはカルベックが言う様にF-A-Fと同値なのではない。むしろそれと同じでないところにこそ、この動機の存在理由がある。動機AはF-A-Fの対極にあって、それに憧れるのである。
動機Aだけでなく、その本来あるべき姿としてのF-A-IFをも顧慮すると、従来の分析では見えなかったものが見えてくる。例えば第一楽章の第一主題(譜例 3中段)。この主題は通常、低声部で響く動機A(譜例3下段)に対する対位的楽想として理解されており、それ自体としては「動機労作にとってごく僅かな役割しか浪じない (26)」様に見える。
だが、この主題の主要な音(音価の長い音)を抜き出してみると(譜例 3上段)、動機Aとその本来の形とが、ともに逆行型ながら含まれていることが解る。つまりこの主題そのものが言わば動機Aの労作なのであり、しかも「あるべき姿」が直ちに「現実の姿」に引き戻される様がそのまま現れているのである。更にこの主題の続く部分で管楽器が奏する音型(譜例4)では、単に始めの三つの音が動機Aであるというだけでなく、四番目の音をも含めて、動機Aの真中のAs音が今度は逆に本来のA音に戻ろうとしている状態を見ることができる。
動機Aは、この交響曲をへ長調の領域からへ短調の領域へ引き込む原動力でありながら、同時に、ヘ長調に於ける本来の姿A-F-Aを施行する。その様子は、両端楽章の終わり方にも現れている。この曲に於いては、第一楽章と第四楽章は殆ど同一の終わり方をする(前者のニ―六小節、後者の二九七小節以降)。全曲の冒頭と同様、動機Aに導かれて第一楽章第一主題が奏されるのだが、ここではこの主題は譜例3の前半部分、即ちF-A-Fの部分だけしか用いられない。つまりこの曲の両端楽章、更にはこの交響曲全体は、動機AがようやくF-A-Fにたどりついて始めて曲を閉じることになる。そしてその最終的な解決、ピアニシモでもたらされる「快い安息」に至るまでの間、動機Aは「憂鬱と悲嘆」の影を投げかけ続けるのである。
二つの中間楽章に於いても動機Aが認められることは、前述の通り、つとに指摘されている。だがここでは、この動機は両端楽章の様にあからさまには姿を現さず、それぞれの楽章の主題の中に忍び込んでいる。第二楽章では、第一主題を歌うクラリネットの各フレーズの終わりと、それに伴うヴィオラのエコーがそれである。それらの音程関係だけを譜例5に示しておく。
三つの音からなる同じ様な音型が都合五回現れるが、その内、動機Aと完全に一致するのは最後のフレーズ(ニ ―~二三小節、譜例5のe) だけである。それまでの四回(譜例 5のa~d)では、動機Aはなかなか自らの姿を現そうとしない。我々はただ、それらしきものを暗示されるのみ。三回目と四回目では、F-A-Fの響きさえほのめかされる。しかしそこには到逹できぬまま、五回目になって、我々は動機Aの姿を見出すのである。
一方第三楽章に於ける動機Aについては、主部主題に伴うヴァイオリンの伴奏型が指摘されることがある(27) (譜例6)。
例えばリーマンは、細かい三連符の連続の中で、譜例ではかすがい型でくくった個所にそれを見る。
コープやハリスンの様に、この伴奏型の全体が動機Aに基づいていると考えることもできる。だがどちらにしても、いささか強引な感じがする。それよりも、この伴奏を背景にして鳴り響く主題の方に、素直に耳を傾けるべきであろう (28)。
この主題(譜例7上段)には、動機Aそれ自体は現れない。しかし主題の核となる音(アウフタクト及び強拍)を取り出してみると(譜例7下段)、ここでも先程同様、動機Aを暗示する三つの音のグループが認められる。最初はC-Es-G、次いでC-Es-Bと旋律線は跳躍を続け、次第に動機Aの姿に近付いていく。第二楽章に於ける動機Aのふるまいを経験した聴き手にとっては、当然次に動機Aが来るものと期待される。だがその期待は裏切られる。三つめのフレーズは動機Aに到逹するどころか あえなく崩れ、旋律ははかなく下降線をたどる。
シューバルトによれば、第二楽章のハ長調は「全く純粋、無垢で素朴」な調性であり、第三楽章のハ短調は「愛の告白、不幸な愛の嘆き」である。こうした気分を基調とする両楽章の中で、動機Aは本来のへ短調の性格をそのまま保持している訳ではない。それは当然新たな調の気分に取り込まれているのだが、しかしこの動機がほのめかされることによって、我々は第一楽章で感じた「深い憂罹と悲嘆」を思い起こし (29 )、来たるべき終楽章が「勝利のフィナーレ」になり得ないことを漠然と予感するこ
とになるのである。
さてここで、我々が動機Bと名付けたものの方へ目を転じてみたい。この動機はC-H-Cという形(譜例 8)
で代表される。
これは、ブラームスが第二交響曲の「モットー」としたD-Cis-Dと相似であり、第一交響曲に於いても終楽章の最も重要な動機として用いられたものである。ここでの動機Bは、実際にはこのC-H-Cを基本形とする類似の刺繍音的音型の総称であり、様々なヴァリアントを許容する(譜例9)。
またこの動機は全くリズムから自由な、音高のみに関わるものであって、伴うリズムに応じて自在に姿を変える。だがそれは、決して曖昧なものではない。見かけは多様であるが、そこに我々は共通のパターンないしゲシュタルトを確かに感じとるのである。
動機Bは、この交響曲の中では動機Aと並んで、否それ以上に頻繁に耳にすることができる。にもかかわらず、これまで交響曲全体の甚本動機として注目されることは全くなかった。恐らくそれは、上述の見かけの多様さが「動機」としての統一的把握を困難にしたからであり、また、「動機」としての独立性が比較的弱く、誰の耳にも「動機」と聴き取れる様な明確な姿で現れるのが、ようやく終楽章に至ってからのことだからでもある。第三楽章までは、この動機は主題旋律の流れの中に極めて自然に取り込まれているか、さもなければ伴奏形などの副次的な個所にのみ現れる。ともあれ、そうした動機Bの具体的な様子を一瞥してみることにする。
第一楽章で動機Bが比較的明瞭に聴き取れるのは、第二主題の後半部である(四四小節、譜例 10 )。
だがこれは、その直前に既に準備されており(四三小節後半)、さらに遡ってみると、実は第二主題の最初からもう、曖昧ながら動機Bの反映を見ることができる(譜例11)。
もちろん、この見方は順序が逆で、実際にはクラリネットとファゴットによる第二主題の中に潜んでいたものが、四四小節で顕在化した様に聴こえる訳である。この他、第一楽章では提示部及び再現部のコデッタで動機Aと共に現れる音型が、動機Bのヴァリアント(譜例9のd、以下動機B(d)の様に表示する)を含む(譜例 12) 。
またコーダの中程、一番最後に動機Aが響く前の部分でも、動機Bが聴こえてくる(譜例13)。
第二主題では、クラリネットによる第一主題のフレーズ前半が動機Bのヴァリアント(bとc)でできている(譜例 14)。
フレーズの後半は既に見た様に動機Aである。この時、第二クラリネットは一貫して動機Bによっている。これらのうち動機B(c)は、後に推移的部分の構成要素として幾度も繰り返されることになる。この楽章の第二主題も、動機Bを含んでいる(30)(譜例15)。
その後第一主題が展開(変奏)される部分では、伴奏として第二主題の三連符音型の影響を受けた動機Bの連鎖が聴かれる(譜例 16)。
この楽章最後の動機Bは―二八小節以下、例のへ長調から(変イ長調を経て)ヘ短調の響きが聴こえるところである(譜例17)。
第三楽章では、まず主部主題の中間部後半(三二小節以下)の旋律の中に、動機Bが聴こえる(譜例18)。
中間部主題は譜例19の通りで、動機Bが認められるが(譜例の点線部)、むしろ動機Bの不完全な形(C-H-Cの後半H-C、譜例の実線部)によるものだと考えた方が自然であろう。
この主題の真中の所では、主題と対位的に動く第二ヴァイオリンの音型(譜例 20) に、動機Bがより完全な形で現れている。
【296】
第四楽章は、動機Bの繰り返しによって始まる。第一主題に含まれるこの動機Bは、特徴的なリズムを伴う明確な「動機」として立ち現れる(31)(譜例21、ただし主題の中にはそのリズムを持たない形も含まれている〔譜例点線部〕)。
この主題が繰り返された後、十八小節目から聴こえてくるエピソードは、第二楽章の第二主題(譜例15 )と同根のものであり(32)、ここでも動機Bを認めることができる(譜例22)。
五二小節からの第二主題は、そのフレーズの後半にこの動機を含む(譜例23上段)。フレーズ前半はこの動機と無縁の様に見えるが、実はバスのパートに含まれていた(譜例23下段)。
動機Bはその後、これらの主題の展開として現れる。それ以外では、コーダを通して聴こえ続けるヴァイオリンのさざなみが、動機B(c) によるものである(譜例24) 。
これまで見て来た動機Bの具体的な現れから、動機Bの意味を考えてみる。先に述べた様に、動機Bは独立した「動機」として単独でふるまうことは少なく、表に現れる時には主題の旋律の中に溶け込んでいることが多い。主な例を挙げれば、第一楽章の第二主題(譜例11)、第二楽章の第一主題(譜例14) および第二主題(譜例15)、第三楽章主部主題の中間部(譜例18)、そして第四楽章の第一主題などである。そしてこれらの主題には、音の動きの上で似た所がある。跳躍が少なくなめらかで、比較的狭い音域の中に留まっている、という点である。第一楽章の第一主題の様な、大きな身振りで一直線に下降しまた上行して、鋭角的な図形を描く旋律線とは対照的に、水平に近く細かく揺れる波状の旋律線が描かれる。こうした特徴は、動機Bと密接に結び付いている。
動機Bは刺繍音的音型の総称である、と始めに述べた。刺繍音とは、言うまでもなくある和声音をその隣接する非和声音が装飾するものである。旋律の動きという点からみれば、それは本来の音高からの逸脱と復帰であり、刺繍音的音型の多い旋律は、中心となる音の周辺を、大きくはずれることなく行きつ戻りつすることになる。和声の上では、刺繍音は音楽に緊張と弛緩のダイナミズムをもたらす。だが旋律的には、それはむしろ逆の性質を持つ。旋律は自由にはばたくこともできず、かといって同じ音に安住することもできない。刺繍音的音型である動機Bやそれを含む主題は、必然的にそういう性質を帯びる。そしてそれは聴き手に、抑圧や内向性、あるいは不安定さや揺らぎといった「感じ」を与えることになるのである(33) 。
ブラームスの交響曲第三番で特に重要な働きをする二つの基本的な動機、F-As-FとC-H-Cのふるまいを、これまで別個に観察して来た。しかし、これまで見た中でも譜例12や譜例14などで既に明らかな様に、この二つの動機はそれぞれ個別に我々の前に現れるだけでなく、時には相互にからみあっている。そこで、これらの動機がどの様な場所で聴こえてくるのかの概略をまとめておきたい(別表)。
別表
第一楽章では、動機Aは第一主題と、動機Bは第二主題と結び付いている。提示部及び再現部のコデッタでは、両者が同時に現れる。第二楽章では、動機Bは全ての部分に浸透しているが、動機Aは主部主題の中でのみ、しかもここでは動機Aそのものは現れず、暗示されるだけである。終楽章では動機Aはもはや姿をみせず、殆ど暗示すらされない。専ら動機Bのみが活躍する。全曲の終わりを告げるコーダ部分に至ってようやく動機Aが戻って来る。
動機Aは明らかに各楽章の最も主要な主題と結び付きながら、だんだん姿を消していく。一方動機Bの方は、副次的な主題と結び付きながら、次第に影響力を強めて来る。ただし、動機Aの登場が少なくなるといっても、同時に影響力も衰えるというのではない。動機Aが最も影響力を発揮するのは、調性を短調の方に引き寄せるという点であり、その意味に於いては影響力を増していく。他方、動機Bの影響力は、主として旋律の動きという点で発揮される。第一楽章に於いて丁度同じ様にふるまっていた二つの動機は、言わば次第にその役割を分担する。動機Aは音楽の深層に働きかけ、逆に動機Bの方は表層の部分に働きかけるのである。
動機Aはへ短調の「憂鬱と悲嘆」の響きを背負いつつ、この交響曲の全体に短調の器りをもたらす一方、主調ヘ長調の「快い安息」の響きに落ち着こうとして空しい試みを繰り返す。曲の開始から終楽章のコーダに於ける解決に至るまで、我々はその両方の気分の間を揺れ動き続けなから、「本来あるべき状態に定まりきれない現実」の悲哀を味わわされることになる。一方動機Bは、ゆらゆらとさ迷い、たゆたい続ける旋律の動きでこの曲を濶たす。我々はそれにひたりながら、はばたくことも定まることも能わぬ、空しい思いを噛みしめる。F-As-FとC-H-Cという、形の上では全く対照的とも言える二つの動機がこの曲にもたらす気分は、極めて似通っている。理想がかなわぬまま、憧れと現実の問を揺れ動く。そんな「感じ」を、我々はこの交響曲のそこここで抱かされるのである。
長調短調の移ろいにしても、たゆたう旋律にしても、勿論この曲だけではなくブラームスの作品にしばしば見られる特徴ではある。しかし恐らく、あのクラリネット五重奏曲を除けば、ある程度以上の規模の作品で、それらの特徴がこれほどまでに典型的に見られる作品は他にない。ニーチェはブラームスについてこう言った。「彼は不能者の憂鬱症を持っていた。彼は充溢から創造するのではなくて、充溢を【渇望し】(傍点)ているのである。……だから彼の最も固有なものは【憧憬】(傍点)に止まる( 34) 。」だとすれば、交響曲第三番は最もブラームスらしい作品ということになるのかも知れない。
(1)Hanslick,E. : Concerte, Composition und Virtuosen der letzten funfzehn Jahre. 1870-1885 (Berlin, 1886) pp.361-366.なお、かつて邦訳があった(『ハンスリック音楽論集』渡辺護訳、全音文庫〔東京、一九五三〕、二五-三一ページ)。
(2)Kalbeck, M. : Johannes Brahms, vol. 3 (Berlin, 1912) p.386ff.なお同書第一巻p.98参照。
(3)Tovey, D. F. : Ess.ys in musical analysis, vol. 1, Symphonies. (London, 1935) p.107.
(4)クララの一八八四年二月十一日の手紙(ed. B. Litzmann : Clara Schumann Johannes Brahms Briefe aus den Jahren 1853-1896. vol.2〔Leipzig,1927〕p.273f.)及び Ehrmann, A. v.:Johannes Brahms Weg, Werk und Welt. (Leipzig, 1933, rep. 1974) p.352.
Musgrave, Musicology, えー総翌pp.251-258. M. 2(4), 1983, pp.434-452e
(5)一八八四年一月二七日の手紙。Moser, A. (ed.) : Johannes Brahms in Briefwechsel mit Joseph
Joachim, vol.2 (Berlin, 1908) p.197
(6)Brown, A. P. : "Brahms' Third Symphonie and the New German School." The Journal of Musicology, 2(4), 1983, pp.434-452
(7) 第二次大戦の頃までは特にその傾向が強かった様で、大抵の文献に影響が見られる。戦後ははっきりその影響を示すものは少なくなっているが、それでも新しいところでは Rienacker, G. : "Nachdenken uber die Sinfonien." Musik und Gesellschaft, 33(5), 1983, pp.263-269.などがある。
(8) 注1参照。
(9) Musgrave, M.: "Frei aber Froh : A Reconsideration." 19th Century Music, 3(3), 1980. Pp.251-258.
(10) Botstiber, H. : Sinfonie und Suite, Die Orchestermusik vol.2〔Fuhrer durch den Konzertsaal, Begonnen von Hermann Kretzschmar] (Leipzig, 1932)p.95.
(11) Harrison, J. : Brahms and his four Symphonies. (London, 1939, rep. 1971) p.211f.
(12) Einstein, A. : Music in the Romantic Era. (New York, 1947) p.154.
(13) この交響曲の二つの中間楽章が《ファウスト》の為の音楽として構想されたものであろう、というカルベックの推測については、今の所確証がない。
(14) ここでの「動機」は、専ら音程に関わるものである。即ちマスグレイヴのいう「基本形basic shape」に当たり、「変形や移行の対象となり、個々の〔通常の意味に於ける〕『動機』を作るリズムやその他の手段によって規定されない音程の形pitch-class shape」である(Musgrave, M. : "Brahms's First Symphony : Thematic Coherence and its Secret Origin." Music Analysis, 2(2), July 1983, p.131, n.3)。ブラームスの主題展開・動機労作に於いては、リズム的要素(ベートーヴェンに於いて重要な)よりも音程関係、旋律の形Gestaltの同一性・類似性が重要である(Schmidt, C. M. : Johannes Brahms Sinfonie Nr. 3 F-Dur, op. 90. [Mainz, 1981〕p.219.)。
(15) Brown前掲書(注6)p.443、Harrison前掲書(注11)pp.228f, 235f.のほかChop, M. : Johannes Brahms Symphonien (Reclams Universal Bibliothek, Leipzig, n.d.)、Riemann, H. : Johannes Brahms. Ill. Symphonie (F-dur) Op.90 (Frankfurt, n. d.)など。
(16) Brown前掲書(注6)。
(17) Schmidt前掲書(注14)p.197f.、Harrison前掲書(注11)p.44の他、以下の文献など。
ホートン、J.『ブラームス/管弦楽曲』根岸一美訳(BBCミュージック・ガイド・シリーズ15)
(東京、一九八二)八八ページ以下。 Kloiber, R. : Handbuch der Klassischen und romantischen
Symphonie. (Wiesbaden, 1964, 2 1976) p.234. Lewinski, W.-E. v. : "Klangfarben bei Johannes Brahms. Betrachtungen zu seiner 3. Symphonie." Musik wieder gefragt (Hamburg & Dusseldorf, 1967) p.162.
交響曲全体ではなく第一楽章ないしその第一主題についてのみ長調・短調の揺らぎを指摘した例としては、Botstiber前掲書(注10)p.96の他、Kross,S. : "Brahms the symphonist." Brahms (ed. by R. Pascall, Cambridge, 1983) p.137など。
(18) 調性格論に関する概括的な研究としては、
Auhagen, W. : Studien zur Tonartencharakteristik in theoretischen Schriften und Kompositionen vom spaten 17. bis zum Beginn des 20. Jahrhunderts. (Europaische Hochschulschriften 36/6, Frankfurt a. M., 1983)'がある。
(19) Schubart, C. F. D. : Ideen zu einer Astetik der Tonkunst. (Wien, 1806, rep. 1969) p.377ff.
(20) Schilling, G., ed. : Encyclopadie der gesammten musikalischen Wissenschaften. (Stuttgart, 1835-1838, rep. 1974)
(21) いずれの項目も、まずJ. J. Wagnerが一八二三年にAMZ誌上に発表した調性格に関する詩 "Ideen uber Musik" の内容を紹介し、それへの反論という形でシューバルトに基づく見解が提示される。
(22) Schumann, R. :℃harakteristik der Tonarten." Gesammelte Schriften uber Musik und Musiker,
vol.1 (Leipzig 1854, rep. 1985) pp.180-182.
(23) 前掲書 p.181.
(24) ブラームスの作品を調性格の観点から論じたものとしては,既にMies, P. : Der Charakter der Tonarten. (Koln,1948), Rieger, E. : Die Tonartencharakteristik im einstimmigen Klavierlird von Johannes Brahms. Studien zur Musikwissenschaft, 22, 1955, pp.142-216. Ravizza, V. : "Brahms' Musik in tonartencharakteristischer Sicht." Brahms-Analysen, Referate der Kieler Tagung 1983 (ed. by F. Krummacher & W. Steinbeck, Kieler Schriften zur Musikwissenschaft 28, Kassel, 1984)がある。この内ミースのものについては未見、リーガーは歌曲の詞の内容と調性の関係を探ったものであり、ラヴィッツァはハ短調作品に限定して論じている。なおアウハーゲン(注17)もブラームスについて一節を割いているが、内容はミースとリーガーの研究結果の紹介にとどまっている。またアウハーゲンの研究では、シューバルト以降の一九世紀の調性格論についても幾つもの例が挙げられているが、少なくともドイツ語圏での影響力に関する限りシューバルトをしのぐものはない様に思われる。
(25) McCorkle, M. L. : Johannes Brahms Thematisch-bibliographisches Werkverzeichnis, (Munchen 1984) p.371.
(26) Schmidt前掲書(注14) p.201.
(27) 注15参照。
(28) ブラウンもこの主題の方に着目している。注15参照。
(29) 第二楽章に於いては、既に触れた様に最後の和声進行の中にへ短調の「憂鬱と悲嘆」の聾きが実際に現れさえする。
(30) リーマンはこの主題を、動機Aの変形(否定)ではないか、と言う。確かに、例えばこの主題の始め三小節の骨格は、【A -C-A?】であり、動機Aの三番目の音をオクターヴ下げた形にはなっている。Riemann前掲書(注15)参照。
(31) それ故この「動機」についてはこれまでにも言及されている。例えばハリスンは、この「動機」と第一及び第二交響曲の各終楽章の動機の同一性を指摘している。Harrison前掲書(注15)p.242.
(32) この、第二楽章第二主題が終楽章で循塚主題的に再現されるという事実が、この交響曲を標題的に解釈しようとする多くの試みを刺激する大きな要因となっている。例えばBrown前掲書(注6)など。
(33) 例えばリーマンは、第二楽章第二主題を「殆ど臆病なまでに内にこもっている」と表現している。Riemann前掲書(注15)p.13.
(34) ニーチェ, F. 『ヴァーグナーの場合』浅井真男訳(ニーチェ全集第三巻)(東京、一九八三)二五六ページ以下、傍点は原文のまま。