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音楽における“即興”と“幻想”
improvisation and fantasy in music

初出:立川ユネスコ協会主催「第5回平和の心コンサート」でのお話
2024年12月1日(日)、立川市柴崎学習館地下ホール
「音楽と即興」について歴史をたどりながら考えます。
後半はクラシックとジャズに焦点を当てますが、
 お話の後にそれぞれのピアノ演奏(加畑奈美さん、大和田千弘さん)が続くことを踏まえています。
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皆さんこんにちは。吉成と申します。
本日はクラシックとジャズのピアノ演奏をお楽しみいただきますが、
その前に少しお時間を頂戴してお話しさせていただきます。

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本日のテーマは「音楽における即興と幻想」です。
「即興と幻想」、と二つの言葉が並んでいますが、音楽では実は同じような状況について使われます。
 即興は英語でimprovisation。「前もって先に見ておかない」という意味です。
一方「幻想」は英語でfantasy、「実際には見えないものを 頭の中で見る」というところから来ています。
どちらも音楽では 「あらかじめ楽譜に書き記されていない音楽を演奏する」という時に使われます。
improvisationは「即興で演奏すること」を指し、fantasyは「即興から生まれた楽曲」に対して使われることが多いです。

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つまり本日は「音楽における即興」について考えてみよう、というわけです。
よく、クラシックは楽譜に忠実 だから即興の余地がなく、ジャズは即興が重視される、と言われます。
本当にそうなのでしょうか。

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クラシックもジャズもなかった時代、そもそも音楽というものがなかった頃を想像してみましょう。
何かのきっかけで音楽が生まれた。それは即興的なものだったはずです。
日本モンキーセンターというところのおサルさんたちは、ご飯を食べたあと、石を叩いて音を出して遊びます。

音の鳴るのが面白くて、それを「食後のレクリエーション」として楽しんでるんです。私はこれこそ音楽の始まりだと思っています。
人間も、同じだったんじゃないでしょうか。
1981年のアメリカ映画「おかしなおかしな石器人」の中に、言葉のない原始人たちが、たまたま音楽を始める場面があります。


こんなに短時間で音楽が誕生したはずはありませんが、なんか叩いたらカチカチ音がした、息を吹き込んだらボーボー鳴った、というようなことを面白がるところから始まって、長い長い年月をかけて、音楽は育っていったのでしょう。

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最初はたまたま、つまり即興で 音 を鳴らしていたんでしょうが、そのうち、「お気に入りの音の組み合わせ」、みんなで楽しむときの「定番」のようなものが生まれ、みんなの共有財産になっていきます。民謡やわらべ歌、宗教的な儀式の歌などは、きっとそんな感じだったのでしょう。

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こうしたものは もともと口伝えで広まりましたから、歌の形が変わることも よくありました。たとえば江戸子守唄です。「ねんねんころりよおころりよ」というみなさんもよくご存じの子守歌ですが、
実はこの歌には二通りの歌い方があります。
一つは、画面の1番。

もう一つは、2番。

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音楽がまとまった「曲」としては伝えられず、音楽の素材だけが共有されて、演奏はその素材を用いていつも即興で行われる、という場合もあります。
例えばインドの古典音楽です。
演奏のもとになるのはラーガという旋法です。
ラーガはたくさんあって、演奏のたびにその中から一つ選んで即興演奏をします。
たとえば、マドゥワンティというラーガはこういうものです。

上行と下行で音の数が違いますが、旋律が上向きに動くときは使う音を前半の5つの中から選び、旋律が下がるときには後半の7つから選びます。
ラーガは、旋律の動き方を決める規則なのです。

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みんなが知っている歌を 楽器で演奏する場合は、「その楽器」の特性に合わせて形をいろいろ変えていく、つまり変奏曲の形をとることが多いです。
たとえばイギリス民謡グリーンスリーヴス。

 これをルネッサンスの人たちはリコーダーでこんな風に吹いたりしました。

(当日は私がその場で吹きました)

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 ここまで見たように、ほんらい音楽は「変化するもの」、「変えてよいもの」だった訳ですが、だんだんと「曲の形が変わらないようにしよう」とする傾向が出てきます。
その主な要因として、まずは楽譜の発達、そして、音楽について、「作者性や作品性」が意識されるようになったことが指摘できます。

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 音楽を紙に書き記す楽譜は、中国や日本では7-8世紀から生まれました。

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これは雅楽の越天楽の楽譜です。
龍笛という横笛の楽譜で、メロディーの動きが真ん中にトラロルロとカタカナで書かれ、その左側の六、テ、中といった小さい文字は、それぞれの音に対応する指使いを示しています。拍子の単位は、右側の黒丸で示します(歌う)。

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西洋では楽譜は9世紀ころから出てきます。
カトリック教会のグレゴリオ聖歌で使われる、ネウマ譜です。

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もともとは歌詞の上に旋律の上がり下がりを曲線で示したものでした。
そのうちに基準となる高さを横線で示して旋律の動きをはっきりさせるようになり、
線の数がだんだん増えて5線になります。
また曲線ではなく黒い点ではっきり高さを示すようになりました。
この段階では音の高さしか分かりませんが、そのうち音符の形で音の長さも区別できるようになります。

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現在の西洋の五線譜は、とくに複雑な音楽を書き記せるように発達してきましたが、それでも楽譜に書けない要素はあります。
完全な楽譜はありません。
演奏者は楽譜に書いてない要素を自分の「そうぞう」、クリエイティヴなファンタジーで補う必要があります。

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さて、楽曲の「固定化」を推進したもう一つの要素は、「作者性」や「作品性」の意識です。
民謡などはみんなの共有財産で、たいていは誰が作ったかも分からない、そんなことは気にしないのが 普通でした。
ところが、いつ頃からか、「この歌は誰のものか」「誰が作った作品か」ということが意識されるようになりました。
日本民謡の「大漁歌いこみ」、「まつっしーまーの」という歌は別名「斎太郎節」とも呼ばれますが、江戸時代に斎太郎という名人がいたからそう呼ばれるようになったそうです。
民謡に いろんな形が存在する場合は、その中の一つが「正調なんとか節」などと呼ばれ、ほかは間違いとして扱われたりするようにもなります。
民謡以外の日本音楽では、17世紀の八橋検校あたりが、作曲者として知られる早い例だろうと思いますが、西洋ではもっと古くから作者が意識され、教会音楽でも世俗音楽でも、14世紀あたりになるとたいていの音楽は「誰々の作品」としてとらえられるようになります。

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こういう流れの中で、西洋のいわゆるクラシック音楽も生まれてくるわけです。
クラシックというと、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった大作曲家たちがずらっと並んでいるイメージがありますが、

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実は19世紀まで、「作曲家」という職業はありませんでした。
「作曲だけやって演奏はしない」という人はいなかったのです。
音楽家は、まず演奏者であり、演奏する曲はたいてい自分でこしらえたものでした。
つまり演奏者はみんな作曲者でもあったのです。

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演奏者は作曲ができて当たり前、当然、即興演奏もできました。
今でも、そうした能力が必須とされている領域があります。例えば、ドイツの教会オルガン奏者です。
バッハの伝記などを読むと、教会のオルガン奏者になるための試験で即興演奏をした、という話が出てきますが、実は今でもオルガン奏者の採用試験科目に即興演奏があります。

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これは、たまたまインターネットで見つけた二つの地域の募集要項ですが、どちらも試験科目にimprovisationの文字が見えます。
ヘッセンでは、「与えられた讃美歌に 即興で簡単な伴奏をつける」、バイロイトでは「讃美歌を選んで、即興の前奏と、2番までの和声を自分でつける」と書かれています。
教会では、その日その日のお祈りの内容に合わせて 讃美歌が選ばれます。
どんな讃美歌を指定されても、そこにいる人々の顔触れを見ながら、歌いやすいように即興で伴奏できる能力が求められています。

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バッハの即興演奏といえば、《音楽の捧げもの》という曲集にまつわるエピソードが有名です。

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1747年5月7日、ライプツィヒという町に住んでいたバッハは、フリードリッヒ大王のいるベルリンを訪れます。

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当時フリードリッヒ大王の宮廷には、バッハの次男坊、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが務めていました。
お父さんバッハは、実は息子に会いに行くついでに、その雇い主である王様に挨拶に行ったのです。

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フリードリヒ大王は、自らフルートを吹き、作曲もする音楽好きでした。
この絵の真ん中でフルートを吹いているのがフリードリッヒ大王、その右で背中を向けてチェンバロを弾いているのがエマニュエルです。

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大王は「あのヨハン・セバスチャン・バッハが来た」と喜び、即興演奏のお題を出してバッハを試します。音楽が得意の大王だけあって、その主題は、上がったり下がったり、シャープやフラットも沢山ついた、ややこしいものでした。

バッハはそのとき即興で3声のフーガ、三つのパートがからみあう複雑な曲を弾きましたが、ライプツィヒに帰ってから、バッハは同じ主題をもとに全部で13も曲を作り、「音楽の捧げもの」という曲集にまとめて、大王に献呈しました。
13曲の中で最も規模の大きいのは フルートを含む「トリオ・ソナタ」で、フルートを大王が演奏し、息子エマニュエルが伴奏することを想定して作曲したのでしょう。

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このように、最初は即興演奏だったものを、後から書き直して出版する、ということはよくありました。
即興演奏に由来するジャンルの代表は変奏曲ですが、そのほかに、前奏曲、幻想曲、トッカータといったものもあります。
この3つは、名前は違いますが、同じような性格で、お料理で例えると、メインディッシュの前の前菜のようなものです。
演奏会の最初とか、「メインとなる曲」の前に置かれて、演奏の準備をします。
ウォーミングアップを兼ねた即興演奏です。
3つとも前菜なので、その後にメインとなる曲が続くことも多いです。
この時代のメインといえばフーガですから、前奏曲とフーガ、幻想曲とフーガ、トッカータとフーガ、といった組み合わせも一般的でした。バッハは、こうした即興に由来するジャンルの曲をたくさん作っています。

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さて、古典派ロマン派の時代にも、演奏者の「作曲や即興演奏」の能力は必要でした。
即興演奏が発揮されたのは主に演奏会で、音楽家としての腕前のデモンストレーションという意味がありました。
モーツァルト、ベートーヴェン、リストといった人たちも、演奏会で即興を披露しました。

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これはリストが1824年にロンドンで開いた演奏会のプログラムです。
リストというと左上のようなイメージですね。ちなみにこれはリストが45歳の時の写真ですが、ロンドンデビューの時は13歳でした。
画面左下の肖像画はたぶんこの演奏会に合わせて作られた銅版画だとだと思われます。
さてこの演奏会、「マスター・リストのコンサート」と銘打たれていますが、第1部9曲、第2部6曲という長いプログラムの中に リストの曲は1つもありません。
全部ほかの人の作品で、リストはそのうち左に赤丸で示した3曲に登場してコンチェルトや室内楽を演奏します。
この時点でリストは作曲家ではなく、演奏家なんです。
注目すべきは第2部が終わった後です。

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何が書いてあるかというと、「聴衆のどなたでも、テーマをリクエストしてくれたら、そのテーマで即興演奏しますよ」というのです。
バッハはフリードリッヒ大王からお題を貰いましたが、リストはその場のお客さんたちからリクエストをもらって、何を弾くか決めたのです。

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  当時の音楽家たちは あちこちを旅して演奏会を開き、その国の国歌や土地の民謡、当時 はやっていたオペラの旋律などをもとに即興演奏をして人気を博しました。
ここではイギリス国歌、ゴッド・セイヴ・ザ・クイーンのリスト版を聞いてみましょう。

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モーツァルトも子供のころからヨーロッパ中を演奏旅行し、王侯貴族に腕前を披露していました。
「きらきら星」変奏曲です。

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ベートーヴェンも即興演奏の名人でした。
イギリスに行ったことはありませんでしたが、イギリスの出版社から依頼されて、イギリス国歌による変奏曲を作っています。
ベートーヴェン版のゴッド・セイヴ・ザ・クイーンです。

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  ショパンもこの種の曲をたくさん作っています。
ショパンで興味深いのは、自分の作品を演奏する時に即興的に音を変えてもいいと認めていたことです。

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画面に映っているのは有名なノクターン作品9の2、「タターン、タタターター(歌う)」という曲の楽譜です。
これが出版された形ですが、ショパンが弟子たちに教えるとき、こんな風にアドリブを入れてもいいよ、という例を楽譜に書き入れていたのです。
右が、3人の弟子たちの楽譜からショパンの書き込みを再現したものです。
出版された楽譜に書かれた形だけが唯一のものではなかったのです。

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メインの曲の前に即興で前奏をつける習慣は、どうやら20世紀半ばころまでは続いていたようです。
昔ある先生から伺った話では、ピアニストのバックハウスが来日した時、ソナタを弾く前に即興で前奏曲を弾いたそうです。
バックハウスが来日したのは1954年ですから、そのころまでクラシックにも即興演奏の伝統は残っていた、ということでしょう。

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しかし、全体としてはそれより前、1920年代頃から、クラシックにおける即興演奏は下火になっていました。
その要因は、同じころに「新古典主義的」とか「新即物主義的」とかいわれる演奏スタイルが流行ってきたことだと思われます。
ヴァイオリンのシゲティ、ピアノのギーゼキング、指揮のトスカニーニらが代表的な名前ですが、19世紀に横行していた傾向、楽譜の指示を無視してテンポを揺らしたり、楽譜と違う音をはさみこんだり、といったやり方を「ロマン主義的な演奏」としてしりぞけ、「楽譜に書いてないことはやらない」という立場をとりました。
このころから、「楽譜に忠実に」という言葉がクラシックの演奏や教育の世界で金科玉条のようにもてはやされることになりました。

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こうしてクラシックにおける即興は下火になっていったのですが、その後1950年代になると、クラシックの最先端である「現代音楽」の領域で即興が復活します。
作曲の手法として、楽譜にきっちり書き込まず、演奏の細部を演奏家の即興にゆだねる、というやり方が、「偶然性」とか「不確定性」とかいう名のもとに流行り始めたのです。
こうしたものは当時話題になり、それなりの影響力もあったのですが、いかんせん現代音楽に親しむ人は少なく、クラシック全体の即興演奏の復興にはつながりませんでした。

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さて、クラシックにおける即興が衰えはじめた1920年代、アメリカで、即興演奏の魅力を前面に打ち出す新しいジャンルが台頭してきました。ジャズです。

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ジャズは南部の町ニューオルリンズで生まれました。黒人たちがお葬式などで演奏した行進曲やダンスの音楽がもとになっています。アフリカ由来の独特の音感やリズム感を持った人たちは、メロディーやハーモニーなど、音楽の輪郭は保ちながら、自分たちの好みに合わせてその場のノリで旋律を飾ったりリズムを崩したりしました。ニューオルリンズのジャズを代表するルイ・アームストロングは、聖者の行進という曲をこんな風に演奏しています。

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  その後ジャズはシカゴやニュ-ヨークといった都会に進出し、大編成のビッグバンドによるダンスミュージックとして一世を風靡します。
グレンミラーの「インザムード」です。

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編成が大きくなれば各自が好き勝手にやるわけにはいかないので、楽譜はしっかりと書き記され、ソロの部分だけハーモニーが書かれて、その中で自由に動くことが要求されるようになりました。

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その後1950年代には、ダンス音楽としての需要が減り、ジャズは小さな編成で、演奏者の即興的なソロを楽しむ、鑑賞用音楽に代わります。いわゆるモダン・ジャズです。曲のメロディーとコード進行だけが書かれた簡単な楽譜をもとに、
最初はみんなでテーマを演奏、次いで各自が順番にソロを回し、最後にまたみんなでテーマを演奏して終わる、
というような流れで演奏されるのが通例です。既存の曲でも独自のイントロを付けたり、テーマのリズムを変えたり、アレンジに工夫がこらされます。
ソロの部分は土台となるコードやリズムの中で、自由な即興が繰り広げられます。

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 シャンソンが原曲の《枯葉》を、二つの演奏で比べてみましょう。
楽譜にはメロディとコードネームだけが書かれています。これをもとにいろんな演奏が実現する訳です。
最初はピアニスト、ビル・エヴァンスのトリオの演奏。

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次はトランペット奏者ウイントン・マルサリスのカルテットの演奏です。

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1960年代になると、フリー・ジャズというのが現れます。
リズムやコードの枠組みにとらわれず、基本は何をしても良い。
テーマがあってもすぐにそこから離れ、自由で大胆な即興演奏が繰り広げられます。
フリー・ジャズの先駆者オーネットコールマンのグループによる演奏です。

フリーといっても、まったくの無秩序ではありません。
リーダーの合図で雰囲気を変えるとか、ソロの順番を決めておくとか、ある程度の約束事はあるのが普通です。

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1970年頃から、ロックの影響を受けて、ジャズでもエレキギターやエレキピアノなどを使うようになり、フュージョンと呼ばれるジャンルが現れます。
フュージョンはその後全体としてはポップで分かりやすい方向になびいていくのですが、電気楽器導入のきっかけとなったマイルス・デイヴィスの《ビッチェズ・ブリュー》というアルバムは、集団即興の音楽としてはきわめて成功した例といえます。
楽譜は存在せず、基本となるリズムパターンやベースライン、中心となる音がマイルスから指示されるだけ。
それを手掛かりに、ミュージシャンたちがマイルスのやりたいことをくみ取り、そこに自分たちの音をあしらって、きわめて集中度の高い演奏が生まれます。
1969年11月のライブ映像です。

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ジャズはその後さまざまなスタイルが併存していきますが、主流は1950年代モダン・ジャズのスタイルで、そこにいろいろ新しい要素が加わっている、という感じです。

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ということで、今回は「音楽と即興」について、歴史をたどりながら検討してきました。

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まとめますと、音楽はそもそも即興的なものでした。
西洋のクラシックでも、下火になってきたとはいえ、即興性は今なお重要です。
「楽譜に忠実に」と言わるようになったのはたかだか100年前。
楽譜に忠実と言ってもすべての音楽要素が書かれているわけではなく、書いてないことをその場でどう実現するか、というところから解釈の多様性、演奏の魅力が生まれています。
一方、ジャズでは確かに即興性が重視されますが、しかし複雑な曲や大きな編成では緻密な楽譜が書かれていますし、どんなに自由な即興にも、必ず何らかの約束事はあります。
それがなければただのカオスです。
クラシックであれ、ジャズであれ、どんなスタイルでもそれが音楽としての魅力を備えている限り、そこにはある程度の決まり事と、ある程度の即興性が伴っているのです。

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ということで、音楽における即興と幻想のお話を閉めたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

吉成 順

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